豊田みつはる(光治)
ごあいさつ
市政は、住民の生活を守る一番身近な砦です。私は、住民が主人公の立場に立ち、市民の皆さんの切実な願いを、議会を通してしっかりと市政に届けるためにがんばります。また、皆さんから預かった大切な税金の使い方をチェックし、福祉、教育を優先した、市民が安心して暮らせる市政をめざすとともに、生きいきとした街を取り戻すために、全力をつくします。
プロフィール
[略歴]
1948年(昭和23年)三重県津市白塚町生まれ
漁師の二男として、伊勢湾の潮の香りと波の音を聞きながら育ちました。
1961年(昭和36年)津市立白塚小学校卒業
私の好物は、白いご飯です。家では麦飯がほとんどでしたので。半農半漁の村は貧しかったが、皆元気でした。小学生の時、霞ヶ浦周辺を舞台にした「米」という映画を観ましたが、白塚とそっくりだなと思いました。
1964年(昭和39年)私立高田中学校卒業
母が戦時中、汽車の中で、特攻隊に行くという若い兵士に密かに託されたはがきに、「お母さんありがとうございました」と一言だけ書かれていたという話を聞かされました。また、戦争孤児の娘さんが病気で短い生涯を閉じたとき、病室には小さな風呂敷包みが一つ残されていただけだったという新聞記事が今も忘れられません。中学生の時でした。
中学生時代
1967年(昭和42年)三重県立津高等学校卒業。高校時代は弓道一筋で、勉強した記憶はありません。
高校1年生・弓道熱中時代
1972年(昭和47年)立命館大学経済学部卒業
大学紛争がさかんな時期で、授業中止が頻繁でした。
「日本経済研究会」というサークルで、資本主義経済の仕組みや歴史、ベトナム戦争、公害問題、金融問題、農業問題、貧困の問題など仲間とよく話し合いました。
大学生(グランドにて)
1972年(昭和47年)川崎金属工業(株)入社
鋳造と機械加工の会社で、総務部に配属され、経理、総務、労務、最後に営業と15年間勤めました。
1987年(昭和62年)(株)大里ミートセンター入社
土曜日に前の会社を辞め、月曜日には全く違う食肉加工の会社で働き始めました。この会社は、大阪や名古屋の消費生協に産直豚肉や「ぎょうざ」等の加工品を納入していました。食の安全について学習会や、組合員さんの見学や交流会が頻繁にあり、その対応などもしていました。
1999年(平成11年)2月退職
1999年(平成11年)4月津市議会議員に当選
1999年8月事故の多い県道の実態調査
2000年8月日本原水協世界大会(広島)に出席
2000年8月15日終戦記念日、津駅西口で街頭宣伝
2003年(平成15年)4月2期目当選
2006年(平成18年)1月合併後の(新)津市・市議会議員に当選
2003年頃津市にえざき海岸で海亀の調査
2010年(平成22年)1月2期目当選
佐々木憲昭衆議院議員と訪問活動
街頭宣伝中
[家族]
妻・長男・長女同居の4人家族
[趣味]
種まき(何でもタネをまいて、忘れた頃に芽が出るのを楽しんでいます。)
弓道・油絵など(もう何年もやっていませんが)
落語を聴くこと
[偉大な人で身近に感じる人]
フリードリヒ・エンゲルス
[私の信条]
◎誠意をもって事にあたること
◎相手の立場に立って物を考えること
◎弱者の立場に立つこと
◎常に挑戦する気持ちを持っていること
◎勇気をもって正義を貫くこと
連絡先
ご意見、ご要望、ご相談ごと等お寄せください
[自宅住所]三重県津市白塚町928番地
[TEL]090−7683−5079
[FAX]059−232−4866