藤本ともこ(智子)
ごあいさつ
安濃町議として4期14年、合併後の津市議として3期目を務めさせていただいています。
2006年に10市町村の合併で誕生した「津市」は、面積710平方メートルの広大な市となりました。周辺地域では、合併によるサービス低下が深刻です。それぞれの地域の良さを守り、みなさんとご一緒に安心して暮らせる津市をめざしてまいります。こどもたちの笑顔輝く街、おとしよりが安心して暮らせる街は、誰にとっても住みよい街となります。そんな津市をめざして、みなさんの声を市政に届けます。
母校のないさみしさ 身をもって
一志郡嬉野町合ケ野(現在は松阪市嬉野合ケ野町)という山村に生まれ育ちました。
小中学校とも、遠かったため、バス通学でした。私の母校・中郷小学校は豊地小学校と統合され、今はありません。さみしい限りです。
生後6ヶ月のころ
学校で楽しみの一つだった給食は、小学校3年生の時から、給食センターから運ばれてくる方式に変わり、冷めた給食でした。
それだけに、今、津市がすすめている学校の統廃合は地域を寂れさせ過疎を進めるやり方であること、センター給食は、自校方式の給食にかなわないことを、自分の体験として感じています。
こどもたちの笑顔輝く社会をめざして
松阪高校を経て、日本福祉大学女子短期大学部に進み、保育士として、津医療生協の職場保育所に勤務しました。
保育士の頃
看護師さんたちのお子さんを預かる職場ですから、お母さんの勤務に合わせて、生後6カ月の乳児を夜間預かることもあります。朝は、近くの公立保育園や認可保育園に送っていきます。
厳しい労働環境の中で一生懸命、子育てしながら働くお父さん、お母さんの姿に接し、こどもたちの笑顔輝く社会をつくりたい、そのためにも働く人の権利を守り、社会を変えたいと日本共産党に入党しました。
30歳で議員に
大好きだった保育士を約10年務め退職しました。今後の事を考えていた時期に、日本共産党から「安濃町へ引っ越して、町議選にでないか」という要請をいただきました。
30歳で、世間知らずの自分にそんな大役が務まるのか、親戚も同級生もない知らない地域への不安等しばらく悩みましたが、思い切って、挑戦することにしました。
はじめての選挙ポスター写真
1991年の9月に津市から安濃町へ引っ越し、12月末の選挙で、当選させていただきました。日本共産党の議席が12年ぶりに安濃町に復活したと同時に、安濃町初の女性議員となりました。
はじめての選挙に向けて
議長などを決める初めての議会で、「公費での飲み食いはやめてください!」と震えながら発言したことを、今でもはっきりと覚えています。
以降、選挙の公約に掲げたゴミの週2回収集や国保料・保育料・水道料金など公共料金の引き下げに向け、活動しました。学童保育所の立ち上げ等にもかかわりました。介護保険制度の導入にあたっては、利用料の減額制度を創設させました。
初当選以来、「あのう民報」や「ともこ通信」などを発行し、議会報告を続けています。
議員一年生
活動の源は…
趣味は、水泳、山登りなど体を動かすことでしたが、残念ながら、2011年の夏、交通事故に遭いひざを痛めてしまいました。今は、夫が夏アルプスに登りに行く運転手となってしまいましたが、夫が登っている間、信州の温泉にのんびりつかって楽しんでいます。水中ウォーキングや筋トレで、再度、山登りができるようチャレンジ中です。
時々、自転車で市役所まで「出勤」しますが、車とは違う風景に出会うのは楽しく、運動と「一石二鳥」です。
元気だった頃、北アルプス燕岳にて
略歴
1961年2月 嬉野町生まれ
1979年4月 嬉野町立中郷小学校、嬉野中学校、県立松阪高校を経て日本福祉大学女子短期大学部入学
1981年4月 津医療生活協同組合あひる保育所勤務
1990年12月 退職
1992年1月 安濃町議会議員 4期16年務める
2006年2月 津市議会議員 現在3期目、会派代表、議会運営委員、建設水道委員長
連絡先
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住所 〒514-2325 津市安濃町田端上野874‐122
電話・FAX 059-268-3868
携帯 090-9945-7947
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